<じぶん>を愛するということ 講談社現代新書660円

 

著者:香山リカ かやまりか

1960年北海道生まれ。

精神科医。

神戸芸術工科大学視覚情報デザイン学科助教授。

 

P65 日本における多重人格

 しかし、いくらマスコミに取り上げられるようになったといっても、ここまではまだ、フィクションとしての話でした。ところが、次第にそれだけではすまされなくなっていきます。日本でも、現実に多重人格の患者が徐々に現れるようになってきたのです。

 1980年代まで日本での症例は五十年間で僅か1桁だったのが、1990年を境に多重人格に関する報告が年々増えてきました。アメリカでも1970年代に多重人格の報告が数百、数千という単位で出てきたと述べましたが、二十年遅れでこれと同じ状況になったのです。

 しかし、アメリカの場合は、その前にベトナム戦争の帰還兵のPTSD(心的外傷後ストレス障害)の問題、幼児虐待に対する関心の高まりという現実世界の引き金があったわけですが、日本の場合、引き金となったのは明らかに『ビリー・ミリガン』と、それに続く多重人格を扱った本や映画などのフィクションの作品でした。フィクションが引き金になり、現実に多重人格者が精神科医のもとを訪れるようになってきた。

 

P186 「誇大自己探し」

 子どものときに誰もが一度は手に入れたことのある「誇大自己」こそが「本当の私」で、そのあと苦労して手に入れた等身大の自己のほうがにせものなのだ。そして、もっとすばらしい「誇大自己」は、幻でも過去の遺物でもなく、どこかに実在しているはず・・・。さまざまな「自分探し」がありますが、それらが発しているメッセージはだいたいこんなふうにまとめられるのではないでしょうか。

 もちろん、その誇大的な「ほんとうの私」とは、人から「すばらしい」と賞賛され、うらやましがられるものであるに越したことことはありません。しかし、どこを探してもそういうものが見つからないこともあります。また、「ほんとうはそんな『すばらしい私』なんてないだろうな」と、薄々気づいており、「探しはじめるのがこわい」という人もいます。探しはじめて「やっぱりなかった」と認めるよりは、「探してないから見つからないだけ」といつまでも思っているほうが、傷つかずにすむからです。

 そして、そういう人たちの「誇大自己」に注がれるべき自己愛は、ときとしてネガティブに転じてしまうことことがあります。意識的にそうするわけではないのですが、「賞賛は無理だとしても、せめて特別な存在ではいたい」と心の深層が願ってしまう。それが、多重人格、アダルト・チルドレン、拒食症・過食症、(現代的な意味の)サイコパス、ストーカーといった“新しい心の病”への関心や増加につながっているのではないでしょうか。